日々の繰言

当地の活性化問題 2004/07/03
 5年ほど前からJRAの場外馬券場を誘致しようという話が持ち上がっていた。
かつては有名な温泉地だったがそれに胡坐をかいていた(と私には思える)旅館組合がやっとこれではさびれる一方だと気づいたらしい。住んでいる私たちから見てもお客さんは少なく、廃業する旅館や飲食店などが多い。
 最初は反対していた地元の町内の人たちもよその施設を見学して、納得して推進派になっていた。でも15ある町内のうち2つの町内が反対していてなかなか進まなかった。そこで窮余の一策として反対している1町内の町内会長(Tさん。なんと旅館組合の元組合長、現組合長に何事も反対するような人)を選挙で変えてなんとか賛成派に変えた。反対しているもう一つの町内会長(Nさん?だったかな)はいろいろな面でTさんと結びつきがあった。この町内に住んでいるのが私の同僚、もう20年くらいそこにいる。そこは小学校、中学校のある町内ではあるけど、馬券場の予定地からは1キロ以上離れていて直接の影響は少ないのでは…と思われる場所。そこはここらで「在」と呼ばれる農村地帯。近頃ではもちろん宅地も多いけど、基本的には農業の人が昔から住んでいる。
 同僚はその地区の友人に「町のほうではこの町内が反対してるからって恨まれているよ」といったら「な〜ん、よかよか気にせんで!、よそがどげん言おうとここはここ、ここの考えを押し通せばいい。だいたい地元の活性化を図るのによそ(JRA)からの力を借りるなどしなくて自分たちでやればよか」と、取り付くしまもないそうです。
 それが出来ないから よそからの力を借りてでもどうにかしようとしてるんじゃないの。
 確かに馬券場ができると交通渋滞は起こるし、環境も悪化する恐れがあるけどそれに対しての対策は十分考えられてるし問題が起こったときに対処できるようにしておけばいいじゃない。
 メリットはたくさんあるのに…。たとえば市に入るその土地(埋立地で費用を市が出しているはず)の買取費用。固定資産税。地元民優先で従業員を採用するし、食堂や売店などはJRAは一切つくらないから地元の施設を作ったりしていいし、施設を使わないときには地元民のコミュニティーセンターとして使ってください、との申し出もあっているし、もちろん環境整備のための地元に対する補助金などもでるし学校にパソコンなどの物品も寄付する。などといろいろ好条件をつけてくれているのに…。
 
 でも先日市長が誘致を断念したらしい。
 私に言わせると市長自らが 反対町内の人々に頭を下げて「市の発展、地区の発展のために同意してください」と言ってくれたら、今反対している人たちの面子も立つのではと思うのだけど、いったいどういう説得の仕方をしたのかしら。
ブルーグレーな日々 2004/04/09
  これは実は本館の日記に書いた文章だけど長くなってしまったし、どちらかといえばこちら向きの文だったのでこちらにも載せてしまいます。

  昨日は熊本と阿蘇へ行った。熊本では伯母のことで相談員と看護師長の方からお話を聞いた。伯母は要介護1で痴呆の症状が出始めているのでもう自宅での一人暮らしは無理だしいまの病院に入院したままだと6ヶ月以上は個人負担金が大きくなってしまうので他の施設に移ったほうがよいのではと言われた。伯母は年金が2ヶ月で15万5千円ほどあるけどこの範囲でまかなえる施設をとなるとなかなかない。一番良いのはグループホームだろうと主治医の先生はおっしゃるがこれだと月10万円くらいかかるらしいからとても無理。一応伯母にも預金はあるがあるていどはなくなった時のお葬式の費用としてとっておきたいので年金以上の負担金はなるべく少なくしておきたい。なにしろ何年かかるかわからないのだから。
  どちらにしても「特別養護老人ホーム」に申し込んで置くようにと言われた。実はこれらのことを私自身がしなくてはいけないということも知らなかった。ただ特老ホームは空きがないので待ち人数が多いとのこと。これも複数申し込めるからとのこと。熊本付近でもいいのだけれど先のことを考えると私の自宅に近い方がよいかと思っている。順番待ちの間に入れる施設やまた病院に入院という方法もあるのでいろいろ検討してくれとも言われた。
  なんか はぁ〜って感じ! これからのことを考えたら憂鬱。

  それにもまして憂鬱になってしまうのは私自身の母のこと、今70歳で病気(神経痛や高血圧)はあるが家事のほとんどをやってくれていて助かっている。母は国民年金をかけていない(私が小さいころは父も病気がちだったし父は母が仕事に出るのを好まなかったから国民健康保険料も払うのが大変なくらい貧乏していたので年金をかけることができなかったし、ある程度余裕が出来て私が母の年金を払おうと思った時にはもう年数が足りないからと断られ、その後制度が変わって払えるようになったときには私がお金がなくて)ので今も年金がない。
  本当は障害者2級なので障害者年金がもらえたのだけど。で今現在我が家の家計は赤字続き、どうにか貯金を崩しながら生活している私自身も実は国民年金をかけていない旦那の扶養家族の時期もあったから16年くらいは掛けているのであと10年くらい掛ければいいはずなので予定では今年息子が卒業したら掛け始める予定だったがあと2年学校に行くということでそれが延びているいずれにしても来年2月ころに掛けている貯蓄型の生命保険が満期で修了するのでこれを継続せずにこの分の掛け金にいくらかプラスして国民年金を払う予定。
  こんな状態だからもし母が入院したら入院費はどうやって支払えばいいのだろうかと不安になる。旦那は今57歳、私は49歳。二人とも定年が近い。これから収入はますます減るだろうに…。
 
  などと考えてるとブルーを通り越してブルーグレー。
  まったく介護保険って何のためにあるのやら、お金のない人はどうやって親を養えばいいっていうのよ。
保護者代表謝辞 (5年前中学卒業時 1999/03/15 ) 2004/03/20
 保護者を代表してお礼の言葉を述べさせて頂きます。
 先程一人一人壇上で校長先生から卒業証書を頂く姿を見て、私たち保護者一同感激で胸がいっぱいです。三年前学生服に身を包み丸刈りの頭も初々しかった息子。母親の私より低かった背も父親を追い越してしまいました。長いようで短かった三年間でした。
 小学校入学の時から見知っている五十六名の子ども達の顔も今日という日を迎え、それぞれが未来に対する自信に輝いています。三年前中学校の門を潜った時の不安に満ちた顔とは別人のようです。中学校時代は体だけでなく心も大きく変化し子どもから大人へと成長する一番難しい時です。この大事な三年間を無事に過ごす事ができたのは先生方の暖かい、そして厳しいご指導の賜物だと感謝します。日奈久中学校で義務教育を終えた子ども達は自分の選んだ道へと旅立とうとしています。先生方の教えを守り着実に歩んでいってくれると信じています。
 最後になりましたが、お忙しい中子ども達のためにご臨席頂きましたご来賓の方々、前田校長先生はじめ諸先生方に心より感謝申し上げ、簡単ではございますがお礼の言葉と致します。


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